2009年10月21日水曜日

J・G・バラード追悼 その3

SFマガジン11月号に訳出された『太陽からの知らせ』(1981)を読んだ。バラードワールド、フルスロットルである。吾輩の20世紀末がフラッシュ バックする。吾輩が砂漠にひきよせられるのはバラードの影響だったのか? タクラマカン砂漠とホドロフスキーの『エル・トポ』とプロヤスの『スピリッツ・ オブ・ジ・エア』が重なり合う。

過日、三歳半の娘と書店に行った。吾輩は「J・G・バラード追悼特集」のSFマガジンを求め、娘にはポケモン・キャラクター・トランプを買った。それからスターバックスに入り、娘はテーブルにトランプを広げ、吾輩は購入本を拾い読みした。

娘が吾輩のPCにかけより、19日の吾輩の日記を指さす。
トップにのせたSFマガジンの表紙、すなわちJ・G・バラードの写真を指さしてワーワー言うのである。三歳半の娘はバラードの顔を覚えた。

昔、「RE/SEARCH」のJ・G・バラード号を買った。いまも手元にある。吾輩はバロウズ本やディック本は手放さなかったが、どういうわけか バラード本はあっさりと売り払った。読むとそのまま古書店の店頭行きだった。『太陽の帝国』も『残虐行為展覧会』も『殺す』も『奇跡の大河』も『ヴァーミ リオン・サンズ』も『ハイライズ』も『コカインナイト』も創元SF文庫の名作群も、全部次々と。惜しいという気持ちにならなかったし、必要な時が来れば手 に入ると思っていた。だから「RE/SEARCH」だけが吾輩とバラードのつなぎ目である。

「RE/SEARCH」の表紙にはアナ・バラッドの写真が使われている。アナ・バラッドの写真集はペヨトル工房が刊行した。解説を浅田彰が書いている。吾輩は帯の惹句で買った。
《J・G・バラードの「終末の浜辺」、「近未来の神話」が、ここに息づく。映像は、未来の記憶と、原始の予感をうつしだす。》
『アナ・バラッド写真集』もたちまち古書店の書棚に納まったが、なぜかこの本は売れなかった。20年以上も。

「ANA BARRADO」でネットを検索したが公式サイトはないようだ。だがここで因縁力発動。「RE/SEARCH」のブログを発見したのである(笑)
http://www.researchpubs.com/Blog/
十数年前、アメリカの友人が、「RE/SEARCH」は身売りして「V/Search」になったと教えてくれた。たしかに「RE/SEARCH」の新しい号は発刊されず、「V/Search」社がバックナンバーを増刷しているだけのようだった。復活していたのか?

「RE/SEARCH」のBlogrollに懐かしい名を見つけた。「Ongaku Otaku」。これまた十数年前に、シカゴのアングラな(笑)カルトショップで購入した「Ongaku Otaku」は、日本のノイズ・アヴァンギャルド音楽を紹介するヘンな雑誌だった。
おそるおそるリンクを辿っていくと…、
http://www.charnel.com/ongaku/
あっはっは、あったあった、吾輩が買った号は創刊号だったのだな。

そういえば、どこへやったかな「Ongaku Otaku Issue #1」。
探すまでもなかった。吾輩の背後の棚に、「Re/Search No. 8/9: J. G. Ballard」と 『アナ・バラッド写真集』と「Ongaku Otaku」が揃っていた。

ああ、これは凄い。
News From The Sun(太陽からの知らせ)
http://www.jgballard.ca/pringle_news_from_the_sun/news_from_sun_jgb_news.html

「RE/SEARCH」のリンクをたどったら、UbuWebというところに辿り着いた。
サイト名の由来はジャリの『ユビュ王』と推測。
土方巽のフィルムを見つけて驚く。
http://www.ubu.com/film/tatsumi_summer.html

うわー、ここ、凄すぎ!
http://www.ubu.com/film/index.html

2009年10月19日月曜日

J・G・バラード追悼 その2









エコテロリズムは初見では判りにくい言葉だった。環境に対するテロリズム、つまり作為的な環境破壊かと勘違いしていた。
《環境問題や動物の権利擁護を名目に掲げた非合法の破壊、脅迫、暴行などのテロリズム、及び、それら活動を正当化する思想のこと》(出典Wikipedia)だったのだな。

SFマガジン11月号のJ・G・バラード追悼特集で、巽孝之はバラードとエコテロリズムをリンクさせているが、どうもピンと来ない。

巽の文章は、《八〇年代サイバーパンク運動の先鞭を付けた》映画『ブレードランナー』が公開された1982年の回想から始まる。
この年、「第21回日本SF大会」が開催され、バラードは《日本SF界に向けてひとつの強烈なメッセージを放った》。

「(前略)今日、眠れる三巨人といったら科学と時間と想像力ですが、日本に関する限り、この三者はどんなにぐっすり眠り続けていようとすぐに目覚 めて、限りない変容の秘力をふるわんとしているのです。真の時間が依然流れているのは他ならぬ日本のみでありますから、引き続いて未来が期待されるのも、 全世界の国々の内でも日本のみと言えましょう。比べてみても、アメリカを初めとする他の全ての国々というのは、無限の現在にすごしているにすぎません。で すから、今こそ、あの日本人による軍事的大偉業、一九四一年十二月七日の真珠湾攻撃を、想像力の世界でくりかえすべき時なのです。
 それには、日本SF作家を人間精神の空に飛ばし、それぞれ未来という魚雷をもたせて、自己満足と惰性に溺れた並みいる戦闘艦隊を、一気に撃沈してしまうことです!」

リップサービスとしてはこれは過剰である。バラードは本気だったのか? 上海で生まれて少年の目で日本軍侵攻を観察していた特殊な経験が、なにか特殊な日本観を形成しているのか? それからバラードの初期の破滅四部作は、大岡昇平の『野火』が強く影響している事とか。

《バラードがたえず立ち戻る文学的聖典にはダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、ジョゼフ・コン ラッドの『闇の奥』などが挙げられる》と巽は書く。ここから、『白鯨』-シー・シェパード-エコテロリズム、というリンクを巽は仕掛けるが、どうもピンと こない。

バラードの80年代の作品『奇跡の大河』は、アフリカの砂漠に突然、大河が出現し、学者がその源流へ船で遡って行くという物語だった。吾輩は結末 を憶えていない。この小説は『闇の奥』とリンクしている、と吾輩は思う。で、『闇の奥』はコッポラ監督の『地獄の黙示録』のネタ元だから、吾輩は『地獄の 黙示録』をJ・G・バラード的と宣言するのである。

もうひとつ気になったのは、巽が映画『日本沈没・リメイク版』と『沈んだ世界』を重ね合わせること。巽はこう書く。《樋口版『日本沈没』はバラードの『沈んだ世界』の映画化と錯覚させるほどのヴィジョンを示す》。
吾輩は『日本沈没』を未見にもかかわらず、エー、と思うのである。バラードの日本SF作家を鼓舞するアジテーションと同じくらい、エー、と思うのである。
ちなみに吾輩は、『崖の上のポニョ』を映画館で観て、こ、これは、J・G・バラードの世界だ、と衝撃を受けた。
J・G・バラード追悼 その1

昔、こんな文章を書いた。抜粋。

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クラッシュ(3)

 1998年、イギリスの作家J・G・バラードの『殺す』が邦訳出版された。翻訳家の柳下毅一郎は、同書の解説で次のように書いている。
《バラードが導き出す結論は必ずしも常識とは合致しない。自動車事故はエロチックな経験だと主張されても、首を傾げる人の方が多いだろう。にもか かわらず、バラードの仮説にはまちがいなく真実のかけらがある。ダイアナ英皇太子妃がパパラッチ相手に壮絶なカーチェイスを繰りひろげ、あげくに派手な事 故死を遂げたとき、誰もがバラードの〝予言〟を思い出したはずだ。それはこれ以上ないほど見事な、メディアとセレブリティの華麗な衝突(クラッシュ)だっ た。》

 2002年、バラードの『コカイン・ナイト』が邦訳出版された。訳者の山田和子は同書のあとがきに《バラードが警告していたことが現実となっ た》と記した。山田が『コカイン・ナイト』の最終校正をしていたのは、2001年9月11日の深夜だった。そのさなか、リアルタイムで、彼女はニューヨー クで起きた「同時多発テロ」を知ったのである。

 スロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは「9.11同時多発テロ」にコメントした文章『現実の砂漠にようこそ』でこう語った。
《世界貿易センタービルの破壊とハリウッドのカタストロフィ映画の関係は、スプラッターもののポルノとありきたりのSMポルノの関係に譬えられないだろうか。》
(朝日出版社刊『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』がこのジジェクの論考を所収している。)

 バラードは1973年に発表した『クラッシュ』を、「世界最初のテクノロジーに基づくポルノグラフィー」と自ら称した。『クラッシュ』は刊行当 初より高い評価を受けていたが、日本語版が出版されるまでには二十年の歳月を要した。邦訳が待ち望まれていた小説であったにもかかわらず、長らく刊行に踏 み切る出版社が現れなかったのは、『クラッシュ』の内容が、どうみても一般的とは言い難いものであったためだ。交通事故の瞬間に性的エクスタシーを感じる いささか特殊(「変態」という単語は使いません)な人々がいささか特殊な行為に耽るすこぶる特殊な物語がベストセラーになると考える出版人はかなり特殊で ある。幸いなことに版元のペヨトル工房は、激しく特殊な出版社だった。それ故、ペヨトル工房は「伝説の出版社」となり、それ故、二十一世紀を待たずに消え た。
『クラッシュ』はイギリスで初版が刊行され、続いて、バラード自身による序文を加えた版がフランスで出版される。1992年に刊行された日本版 にも、この序文は収録された。バラードは自作を《極端な状況における極端なメタファー、極端な危機の折にのみ利用される一か八かの手引書》と語り、そして 次のような一節で序文を締め括った。
《言うまでもなかろうが、『クラッシュ』の究極の役割は警告にある。それはテクノロジカル・ランドスケープの辺土にあって、ますます強まる声で呼びかけるこの野蛮な、エロティックな、光輝く領域への警戒信号なのである。》
 日本版『クラッシュ』の訳者は前述の柳下毅一郎、解説はSFを中心にアメリカ文学を批評している巽孝之だった(そのタイトルは、奇しくも「同時 多発への道はどれか」である!)。巽は、イギリスでの『クラッシュ』出版と期を同じくして、大西洋をはさんだ大陸ではピンチョンの『重力の虹』が刊行され た「偶然」を、文学史上の「同時多発」的「衝突」とみる。今にして思えば、巽もバラードの予言に共振していたのかもしれない。
《一九七三年、自動車衝突がセックスの同義語と化し、セックスがミサイル爆撃の同義語と化す。そのようにテクノロジーとセクシュアリティが衝突 し、その地点においてバラードの属してきた領分同士が衝突する時、最も二十世紀的な時代精神が、(中略)ぼんやりとその素顔をのぞかせる。》
『重力の虹』もまた、特殊な小説だ。物語の主人公、スロースロップは、《赤ん坊のころミサイル発射と性器勃起が同時稼動するようハーバード大学 で条件付けを施された》。それにより、彼が《セックスする場所にはあとで必ずミサイルが降下する》という異様な因果関係が出現するのである。
 ピンチョンはミサイルの弾道から「重力の虹」という言葉を考えたのだろう。発射地点と落下地点をつなぐ放物線を虹に見立てて。だが、しかし、「重力の虹」はもっと別な形で視覚化された。

 真夜中、ぼくは崩壊するWTCをテレビで見ていた。二つの塔は自らの重みを支えきれずに押し潰されていった。「重力の虹」という言葉が乱反射し た。いくつかの偶然の符合と、いくつかの予言と、いくつかの予感が一点で交差し、ぼんやりとした「二十世紀的な時代精神」は、はっきりとその凶暴な姿を現 した。


クラッシュ(4)

2001年9月11日の深夜、アメリカで起きた異常事態を知った翻訳家の山田和子は、《バラードが警告していたことが現実となった》と思った。 ちょうど同じ頃、ドン・デリーロの『アンダーワールド』を訳し終えたばかりの上岡伸雄は、世界貿易センタービルの倒壊に名状しがたい既視感を抱いた。
バラードの「警告」は、デリーロの「予告」と置き換えることも出来る。例えば次に引用するような『アンダーワールド』の一場面は、ドン・デリーロというアメリカ人作家が「同時多発テロ」を幻視していたと思わせる根拠にはならないだろうか。
《「二つではなくて、ひとつのものとして捉えてるんです」と彼女は言った。「もちろんツイン・タワーであることは明らかなんですけど。でも、存在としてはひとつじゃありません?」
「非常に恐ろしい存在です、でも見ないわけにはいかないんですよね」
「ええ、見ないわけにはいかないんです」》『アンダーワールド』日本版上巻p546-547
ここで語られている「非常に恐ろしい存在」とは、ニューヨークのWTCである。デリーロがこの物語を書いている頃、世界はまだ冷戦終結の希望が広 がる二十世紀だった。ノストラダムスの予言を信じて集団自殺するようなうっかり者は珍しくなかったが、WTCの存在しない新世紀を想像している人々はごく 少数だった。たぶん。
『アンダーワールド』の装幀にはアンドレ・ケルテスが撮影したWTCの写真が使われている(未見だが、アメリカで出版された元版も、同じ装幀のようだ)。それはこんな写真だ。

十字架を屋根に掲げた教会の背後にWTCが屹立し(追悼と鎮魂のために十字架の形状をした鉄骨―建築の残骸―がグランドゼロに残された)、雲が低 くビルの上層部を覆い隠して垂れこめ(炎上するビルから立ちのぼる黒煙がニューヨークの空に広がる)、中空には一羽の鳥―おそらくは猛禽類―が舞っている (金属の翼を持った鳥がWTCに向かって飛んでいった)。

暗示的であり、予言的な画像。その印象を強調するためなのだろうか、日本版には同書からの引用が書籍帯の惹句として使われている。
《「このビルがぜんぶ粉々に崩壊するのが目に浮かびませんか?」
彼は俺の方を見た。
「それがこのビル群の正しい見方なんだと思いませんか?」》
と、ぼくはここまで、いかにもデリーロが「同時多発テロ」を予言していたかのように書いてきた。だが現実と小説の類似はどこまでも偶然にすぎな い。いくつかの偶然が一点で交錯すると、人はついついそこに意味を見出そうとしてしまう。デリーロが《「歴史がフィクションに変わる瞬間だったのか な?」(『アンダーワールド』日本版下巻p61)》と書こうが、現実と虚構(フィクション)の衝突(クラッシュ)は、ぼくたちの内側で起きている。二つを 出会わせているのはぼくたちの想像力であり、虚実の区別がつかなくなったなどと言うのはもっぱら恥知らずな犯罪評論家たちである。
…そう判っているにもかかわらず、ぼくは『アンダーワールド』を読みすすめてゆくうち、この小説にはぼく自身も参加しているかのような奇妙な感慨を憶えたのだった。
物語には「大リーグ・グッズ」を扱うガラクタ屋が登場する。その店はこんな具合だ。
《薄汚い階段を下りていくと暗い小部屋に出て、メンバー表や古い唱歌帳、そのほか千もの野球関係の珍品が山積みになっていた。記録や書類のすべてが何本もの柱のように積み上げられ、今にも倒れそうだ。》
この場所を訪れる客に、店主は言う。
《「ここにある品々には何の美的価値もありません。色褪せてぼろぼろになったものばかり。古い紙切れ、それ以外の何でもないのです。ここに来るお客さんたちはそういう屑の山を求めているんですよ。自分がその一部だって感じられるような歴史をね」》

これはもしかしたら、ぼく自身の台詞だったのではないか、いや、やがて遠くない将来、ぼくが口にすることになる言葉なのではないか…。

世界は「クラッシュ」に満ちている。人と人が出会い、様々な事物が出会い、信号機のない交差点で車と車が出会い、超高層ビルとボーイング機がクラッシュする。あとにはトラッシュ(屑)ばかりが残る。ぼくはそのような「場所」で生計を立てている。

2005年5月28日土曜日

クラッシュ(4)

古書者蒙昧録 其の二十八

 二〇〇一年九月十一日の深夜、アメリカで起きた異常事態を知った翻訳家の山田和子は、《バラードが警告していたことが現実となった》と思った。ちょうど 同じ頃、ドン・デリーロの『アンダーワールド』を訳し終えたばかりの上岡伸雄は、世界貿易センタービルの倒壊に名状しがたい既視感を抱いた。
 バラードの「警告」は、デリーロの「予告」と置き換えることも出来る。例えば次に引用するような『アンダーワールド』の一場面は、ドン・デリーロというアメリカ人作家が「同時多発テロ」を幻視していたと思わせる根拠にはならないだろうか。
《「二つではなくて、ひとつのものとして捉えてるんです」と彼女は言った。「もちろんツイン・タワーであることは明らかなんですけど。でも、存在としてはひとつじゃありません?」
「非常に恐ろしい存在です、でも見ないわけにはいかないんですよね」
「ええ、見ないわけにはいかないんです」》『アンダーワールド』日本版上巻p546-547
 ここで語られている「非常に恐ろしい存在」とは、ニューヨークのWTCである。デリーロがこの物語を書いている頃、世界はまだ冷戦終結の希望が広がる二十世紀だった。ノストラダムスの予言を信じて集団自殺するようなうっかり者は珍しくなかったが、WTCの存在しない新世紀を想像している人々はごく少数 だった。たぶん。
 『アンダーワールド』の装幀にはアンドレ・ケルテスが撮影したWTCの写真が使われている(未見だが、アメリカで出版された元版も、同じ装幀のようだ)。それはこんな写真だ。

 十字架を屋根に掲げた教会の背後にWTCが屹立し(追悼と鎮魂のために十字架の形状をした鉄骨―建築の残骸―がグランドゼロに残された)、雲が低くビル の上層部を覆い隠して垂れこめ(炎上するビルから立ちのぼる黒煙がニューヨークの空に広がる)、中空には一羽の鳥―おそらくは猛禽類―が舞っている(金属 の翼を持った鳥がWTCに向かって飛んでいった)。

 暗示的であり、予言的な画像。その印象を強調するためなのだろうか、日本版には同書からの引用が書籍帯の惹句として使われている。
《「このビルがぜんぶ粉々に崩壊するのが目に浮かびませんか?」
彼は俺の方を見た。
「それがこのビル群の正しい見方なんだと思いませんか?」》
 と、ぼくはここまで、いかにもデリーロが「同時多発テロ」を予言していたかのように書いてきた。だが現実と小説の類似はどこまでも偶然にすぎない。いくつかの偶然が一点で交錯すると、人はついついそこに意味を見出そうとしてしまう。デリーロが《「歴史がフィクションに変わる瞬間だったのかな?」(『アン ダーワールド』日本版下巻p61)》と書こうが、現実と虚構(フィクション)の衝突(クラッシュ)は、ぼくたちの内側で起きている。二つを出会わせている のはぼくたちの想像力であり、虚実の区別がつかなくなったなどと言うのはもっぱら恥知らずな犯罪評論家たちである。
 …そう判っているにもかかわらず、ぼくは『アンダーワールド』を読みすすめてゆくうち、この小説にはぼく自身も参加しているかのような奇妙な感慨を憶えたのだった。
 物語には「大リーグ・グッズ」を扱うガラクタ屋が登場する。その店はこんな具合だ。
《薄汚い階段を下りていくと暗い小部屋に出て、メンバー表や古い唱歌帳、そのほか千もの野球関係の珍品が山積みになっていた。記録や書類のすべてが何本もの柱のように積み上げられ、今にも倒れそうだ。》
 この場所を訪れる客に、店主は言う。
《「ここにある品々には何の美的価値もありません。色褪せてぼろぼろになったものばかり。古い紙切れ、それ以外の何でもないのです。ここに来るお客さんたちはそういう屑の山を求めているんですよ。自分がその一部だって感じられるような歴史をね」》

 これはもしかしたら、ぼく自身の台詞だったのではないか、いや、やがて遠くない将来、ぼくが口にすることになる言葉なのではないか…。

 世界は「クラッシュ」に満ちている。人と人が出会い、様々な事物が出会い、信号機のない交差点で車と車が出会い、超高層ビルとボーイング機がクラッシュする。あとにはトラッシュ(屑)ばかりが残る。ぼくはそのような「場所」で生計を立てている。

2005年5月27日金曜日

クラッシュ(3)

古書者蒙昧録 其の二十七

 一九九八年、イギリスの作家J・G・バラードの『殺す』が邦訳出版された。翻訳家の柳下毅一郎は、同書の解説で次のように書いている。
《バラードが導き出す結論は必ずしも常識とは合致しない。自動車事故はエロチックな経験だと主張されても、首を傾げる人の方が多いだろう。にもかかわらず、バラードの仮説にはまちがいなく真実のかけらがある。ダイアナ英皇太子妃がパパラッチ相手に壮絶なカーチェイスを繰りひろげ、あげくに派手な事故死を遂げたとき、誰もがバラードの〝予言〟を思い出したはずだ。それはこれ以上ないほど見事な、メディアとセレブリティの華麗な衝突(クラッシュ)だった。》

 二〇〇二年、バラードの『コカイン・ナイト』が邦訳出版された。訳者の山田和子は同書のあとがきに《バラードが警告していたことが現実となった》と記した。山田が『コカイン・ナイト』の最終校正をしていたのは、二〇〇一年九月十一日の深夜だった。そのさなか、リアルタイムで、彼女はニューヨークで起きた 「同時多発テロ」を知ったのである。

 スロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは「9.11同時多発テロ」にコメントした文章『現実の砂漠にようこそ』でこう語った。
《世界貿易センタービルの破壊とハリウッドのカタストロフィ映画の関係は、スプラッターもののポルノとありきたりのSMポルノの関係に譬えられないだろうか。》
(朝日出版社刊『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』がこのジジェクの論考を所収している。)

 バラードは一九七三年に発表した『クラッシュ』を、「世界最初のテクノロジーに基づくポルノグラフィー」と自ら称した。『クラッシュ』は刊行当初より高 い評価を受けていたが、日本語版が出版されるまでには二十年の歳月を要した。邦訳が待ち望まれていた小説であったにもかかわらず、長らく刊行に踏み切る出版社が現れなかったのは、『クラッシュ』の内容が、どうみても一般的とは言い難いものであったためだ。交通事故の瞬間に性的エクスタシーを感じるいささか 特殊(「変態」という単語は使いません)な人々がいささか特殊な行為に耽るすこぶる特殊な物語がベストセラーになると考える出版人はかなり特殊である。幸いなことに版元のペヨトル工房は、激しく特殊な出版社だった。それ故、ペヨトル工房は「伝説の出版社」となり、それ故、二十一世紀を待たずに消えた。
 『クラッシュ』はイギリスで初版が刊行され、続いて、バラード自身による序文を加えた版がフランスで出版される。一九九二年に刊行された日本版にも、こ の序文は収録された。バラードは自作を《極端な状況における極端なメタファー、極端な危機の折にのみ利用される一か八かの手引書》と語り、そして次のよう な一節で序文を締め括った。
《言うまでもなかろうが、『クラッシュ』の究極の役割は警告にある。それはテクノロジカル・ランドスケープの辺土にあって、ますます強まる声で呼びかけるこの野蛮な、エロティックな、光輝く領域への警戒信号なのである。》
 日本版『クラッシュ』の訳者は前述の柳下毅一郎、解説はSFを中心にアメリカ文学を批評している巽孝之だった(そのタイトルは、奇しくも「同時多発への道はどれか」である!)。巽は、イギリスでの『クラッシュ』出版と期を同じくして、大西洋をはさんだ大陸ではピンチョンの『重力の虹』が刊行された「偶然」を、文学史上の「同時多発」的「衝突」とみる。今にして思えば、巽もバラードの予言に共振していたのかもしれない。
《一九七三年、自動車衝突がセックスの同義語と化し、セックスがミサイル爆撃の同義語と化す。そのようにテクノロジーとセクシュアリティが衝突し、その地 点においてバラードの属してきた領分同士が衝突する時、最も二十世紀的な時代精神が、(中略)ぼんやりとその素顔をのぞかせる。》
 『重力の虹』もまた、特殊な小説だ。物語の主人公、スロースロップは、《赤ん坊のころミサイル発射と性器勃起が同時稼動するようハーバード大学で条件付 けを施された》。それにより、彼が《セックスする場所にはあとで必ずミサイルが降下する》という異様な因果関係が出現するのである。
 ピンチョンはミサイルの弾道から「重力の虹」という言葉を考えたのだろう。発射地点と落下地点をつなぐ放物線を虹に見立てて。だが、しかし、「重力の虹」はもっと別な形で視覚化された。

 真夜中、ぼくは崩壊するWTCをテレビで見ていた。二つの塔は自らの重みを支えきれずに押し潰されていった。「重力の虹」という言葉が乱反射した。いくつかの偶然の符合と、いくつかの予言と、いくつかの予感が一点で交差し、ぼんやりとした「二十世紀的な時代精神」は、はっきりとその凶暴な姿を現した。
(もう一回だけ続く)

2005年5月26日木曜日

クラッシュ(2)

古書者蒙昧録 其の二十六

 「失われた十年」というのは日本の経済が失速した一九九〇年代を意味するらしい。この十年、ぼくはまだ古本屋ではなかった。うろうろしている間に多くの 蔵書を処分した。売り払ってしまった書籍のほとんどは、おそらくもう手に入らないだろう。それは別段、残念な気がしない。けれども新世紀が明けるとどうい うわけか、宮本隆司写真集『九龍城砦』だけは「もう一度手元におきたい」と強く思うようになった。
 九龍城砦は、香港の啓徳空港のすぐ北西の総敷地面積わずか二.七haの狭い区画に、その数、三百棟とも五百棟ともいわれる大小のビルが超高密度で集まっ た巨大な建築体だった。「阿片戦争」後、香港島と九龍半島は清朝から英国の植民地となったが、九龍城砦だけがその割譲から除外された。以来、英国と中国の 双方がその主権を主張して対立し続けたため、九龍城砦は香港において英国管理のおよばない治外法権の場所として存在し、最高時には五万人もの不法入居者が 流れ込む。無許可/違法な増築工事が際限なくくり返され、いくつもの高層アパートがひとつながりに結合した。その結果、内部は「住人以外の者が一度入った ら、二度と出てこれない」複雑奇怪な迷路のようになってしまう。さらには麻薬、賭博、売春がはびこり、九龍城砦は「香港の魔窟」という悪名を高めてゆくこ とになった。
 一九八〇年代、日本人写真家が謎のベールに包まれた九龍城砦に潜行する。宮本隆司は「東洋最大のスラム」の奇怪な美をうつしとり、その記録は、今では伝説と化した出版社から刊行された。ぼくは『九龍城砦』との出会いに強い衝撃を受けた。
《九龍城砦には、あらゆる存在を終わらせてしまうような、名状しがたいナニカが封印されていて、『九龍城砦』にも「それ=it」はぼんやりとだが、しかし 確かに写っている。ここは我々が行き着く「終末の場所」なのだと思った。二十世紀の袋小路。時代閉塞の具現。九龍城砦が「生きている廃墟」であるように、 我々は生きたまま「屍体」になる。どうやってこの迷宮から脱出すればいいのか。》
 しかし九龍城砦は一九九二年に解体され、地上から消滅する。二十世紀の終わりには、廃墟映像はもはや珍しいものではなくなっていた。内戦で破壊されたサ ラエボの光景が連日ニュース映像に流れ、バブルの崩壊によってうち捨てられたレジャー施設や建造物が、日本のいたるところに出現した。新興宗教団体の施設 も廃墟のようだった。阪神淡路大震災が一瞬にして広大な瓦礫の山を築いた。まるで頭の中の廃墟が現実の世界を浸食してゆくようだった。ぼくは『九龍城砦』 を売り払い、イマジナリーな廃墟と手を切った。
 昭和の終わり頃、ぼく(ら)は真面目に「世界が終わるかもしれない」と思っていた。「こんな風に世界が終わってしまって、本当にそれでいいのか」と自問 していた。そして崩壊を阻止しなければならないと、本気で考えていたのだった。たぶんガルシンの『あかい花』の癲狂院の狂人のように、頭がいかれていたの だろう。》
 もちろん世界は終わらなかったし、「恐怖の大王」も天空から降りてはこなかった。新世紀はあっけなく到来したのだった。けれどもぼくは再び九龍城砦に惹 きつけられているのだった。何故か? ぼくはインターネットで『九龍城砦』の探書と検索を繰り返した。『九龍城砦』を出版したペヨトル工房は二〇〇〇年に 廃業し、九龍城砦と同様、既に存在しなかった。
 ある時、平凡社が同名の写真集を出していることを知った。撮影者は宮本隆司。それはペヨトル工房版『九龍城砦』所収の総ての写真に、解体されてゆく九龍城砦の映像も収録した、増補改訂版だった。

「これ、ありましたよ」
 平野雅彦さんは平凡社版の『九龍城砦』を手にしていた。ぼくにとってはいささか高価な本であったが、迷わず購入した。
《書店の袋を抱え、店を開けたばかりの喫茶店にとびこんだ。テーブルに『九龍城砦』を広げ、ゆっくりと頁をめくっていった。ああ、これだ、この写真だ、 ト、ここちよい緊張感が走り、十年の空白が埋まってゆくような気がした。外では台風15号の風と雨が、しだいに強まってきていた。》
「特別な事件によって、はっきりとその日付が記憶された」と前号で書いた。『九龍城砦』との二度目の出会いは、その翌日、二〇〇一年九月十一日に起きた「同時多発テロ」とひとつながりになって、ぼくの意識に刻みつけられた。
《翌日、9月11日の深夜、崩壊するWTCの映像を見ながら、「するとあれはまだ終わったわけではなかったんだ」と、なにかの小説で読んだフレーズを思い出した。 》(まだ続く)

※《》内は筆者が別の機会に書いた文章からの引用。  

2005年5月25日水曜日

クラッシュ(1)

古書者蒙昧録 其の二十五

 「鉄腕アトム」グッズのコレクターとして全国にその名を知られる平野雅彦さんは、一筋縄ではゆかぬ蒐書家でもあり、また凄腕の古書ハンターとして古本屋を畏れさせている。
 作家の松岡正剛は《友人や知人がほしがっている本を日本中の古本屋からなんらかの方法で見つけだし、これをときにはタダで提供してしまうという奇特な人物》と平野さんを評し、次のように書いた。
《その捜し出す方法がなんとも不思議で、なにかのときに「ひらめく」そうなのだ。たとえば『遊』6号がほしいという人物が平野君に連絡をする。そうする と、平野君はとくに焦るわけでもなく、「はい、いつかね」と言って、そのことを仕舞いおく。ところが、ある日、平野君のアタマのどこかに『遊』6号が世田 谷の多摩川あたりの本屋の片隅に寂しく光っているのが見えるのだ。そこで平野君はその本屋に行く。》
 まったく人と本とはほとんど偶然に、事故のように、なにか不可解な「力」によって出会う、あるいは出会わされるものである。ぼくも己の「出会う力」は半端ではないぞと自負しているが、「他人の分」まで出会ってしまう平野さんは尋常ではない。
 先月(二〇〇三年一〇月)、ぼくはある講座で平野さんと対談をした。「手塚治虫」を軸にして戦後の出版文化を語るという主旨だった。が、オタクの間に実 のある対話など成立するべくもなく、互いの手持ちのネタをひたすら競うという情けない内容に終わってしまった。責任の大半は驚異の博覧強記を披露した平野 さんにあるとこっそり思ったりする(笑)。
 平野さんは以前、『透きとおる石』の特装本をあべの古書店で買ってくれた。『透きとおる石』は畠山直哉の鉱石写真集である。刊行に合わせて「夜想・鉱 物」展が開催され、五〇部限定の「特装本」には、その会場に展示された特装加工写真が付いている。オリジナルプリントはそれぞれ1点しか存在しない。つま り平野さんが所有している『透きとおる石[特装本]』は世界に一冊しか存在しない本なのである。
 ところで平野さんと知り合ったのがいつごろであったか、ぼくはよく憶えていない。『透きとおる石』を購入してもらったのが二〇〇〇年の秋だったから、そ れ以前に出会っていることは確かなのだが。日頃の頻繁な交遊があるわけではなく、何かの催しで偶然出会い、「おや、奇遇ですね、ちょっとお茶でも」といっ た具合にスターバックスへ繰り込むのが常である。
 ある時ノーム・チョムスキーのドキュメンタリー映画を観るため、ぼくは普段よりもずっと早起きをして上映会場へ向かった。途中、見上げたスターバックス の二階の窓から、平野さんが手を振っていた。「奇遇ですね、ぼくもこれからチョムスキーの映画へ行くんですよ」と平野さんが言った。だからチョムスキーの 『9・11』を観た体験と平野さんに会ったことがセットになっているのだけれども、それがいつのことだったのかもう忘れてしまっている。まったくもの忘れ がひどくなった。
 だが、たったひとつ、例外がある。特別な事件によって、はっきりとその日付が記憶されたからだ。たぶん今後も忘れることはないだろう。

 九月十日は台風の接近で朝から雨模様だった。夕刻には東海を通過するらしい。静岡を直撃しそうな気配だったので、ぼくはあべの古書店を臨時休業することにした。
 午前中(そういえばこの日も「普段よりもずっと早起きをして」…)、新刊書店へ行った。店を開けたばかりの谷島屋書店は、まだ客の姿もまばらだった。一階では翻訳書フェアをやっていて、地方の書店では見かけることの少ない小出版社の本が並んでいた。
『サイトメガロウイルス』があった。この本は店頭での入手は難しそうだったので、版元へ注文しようかと思っていたちょうど矢先だった。良いサインだ。探し ていた本との偶然の出会いは不思議と続けて起こるものだと、書物を買い蒐める人々は皆知っている。ぼくはエルヴィ・ギベールの『サイトメガロウイルス』を 購入し、それから二階の売場に上がった。
 フロアに平野雅彦さんがいた。やあ、奇遇ですね、と二言三言立ち話。
 美術書を置いた平台には、河出書房新社から刊行されたトレヴァー・ブラウンの画集が山積みになっている。ぼくがトレヴァーと知り合ってから十年になる。 当時まだイギリスにいたトレヴァーの作品を掲載するのは、怪しげな出版社の怪しげな雑誌ばかりだった。河出書房新社は「怪しげな出版社」ではない。何種類 ものトレヴァーの作品集を眺め、ぼくは彼がいつの間にか人気アーティストになっていたことにいまさらながら気づいた。二十世紀の終わりの十年になにが変わ りなにが変わらなかったのか、とりとめもなく思ってたところへ、背後から「あべのさん」と呼ばれた。振り返ると、「これ、ありましたよ」と言う平野さん は、一冊の写真集を手にしていた。(続く)