2009年11月7日土曜日

―20世紀は終わらない―

松井秀喜と9・11同時多発テロと『アンダーワールド』

1951年10月3日、ニューヨークのポログラウンドではブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツがリーグ優勝をかけてプレーオフを戦っていた。
招待席で観戦している四人の男は、フランク・シナトラ、ジャッキー・グリースン、トゥーツ・ショー、そしてFBI長官エドガー・フーヴァーである。
試合途中、フーヴァーはFBIの捜査官から深刻な報告を受ける。ソ連が秘密裡に核実験を行ったのだった。

ドン・デリーロの『アンダーワールド』は、このように始まる。
『アンダーワールド』は9・11を幻視した衝撃的な世紀末小説である。
20世紀を継続させるため、吾輩はこの小説を再読することにした。

決勝戦は、9回裏、ジャイアンツが奇跡の逆転勝利をおさめる。熱狂するスタジアム。観客は、プログラムやチケットの半券や手にしていた雑誌から破りとられたページや携帯用のカレンダーやつぶされた空の煙草の箱や何年間も財布に挟んで持ち歩いていた手紙やスナップ写真やアイスクリームサンドイッチのべとつく包装紙を引きちぎってグラウンドに投げ込む。ありとあらゆる紙類が紙吹雪となって選手達の頭上に舞う。

吾輩は松井秀喜がワールドシリーズMVPを受賞した試合と、『アンダーワールド』のプロローグを重ねる。そして9・11を重ねる。
ニューヨーク市をパレードする松井秀喜らヤンキース選手の頭上には、おびただしい紙吹雪が舞っていた。ニューヨークのビジネスマンたちはオフィスの窓を開け放ち、クズ書類をシュレッダーにかけて作った紙吹雪を投じる。
これとよく似た光景を視た、と人々は思わないだろうか。吾輩は視た。2001年、燃え上がるWTCの窓々から膨大な書類が放たれ、終末の放射能灰のごとく地上に降った。人々は思い出さないだろうか。

ジャイアンツの優勝に歓喜する人々の中で、試合の実況中継をしていたラジオアナウンサーはこう思う。
《これは別種の歴史かもしれないとラスは考える。皆がここから持ち帰り、皆をまたとない貴重な点において束ねてくれるもの、ある記憶との結びつきにおいて守ってくれるもの。アムステルダム街では人々が街灯に昇り、リトルイタリーではクラクションが鳴り響く。こういう可能性はないだろうか? 二十世 紀のど真ん中に起きたこの事件が、高名なる指導者やサングラスをかけた冷徹な将軍の壮大な戦略――我々の夢を侵害する周到な計画――よりも遥かに末永く人々の皮膚に浸透するという可能性。ラスとしては信じたい、こうしたことが目には見えないところで我々を守ってくれているのだ、と。》 『アンダーワールド  上巻』82・83p

吾輩は信じるよ。吾輩の演劇はそうであった。

だが、暗黒面の記憶も人々を結びつける。災厄や悲惨が人々をつなぐ。その記憶は決して我々を守りはしないだろう。