2010年10月13日水曜日

友部正人-水族館劇場-桃山邑

10月11日
静岡市大岩のAmi助産院で行われた友部正人さん(以下敬称略)のコンサートに出向いた。同助産院の五周年を記念して開催されたものである。ライブ会場には静岡市議のまつや清の顔も。

俺が友部のライブを観たのは20年ほど前、静岡市の「百町森書店」という児童書専門店が会場だった。俺はその時のライブを企画したのは「百町森書店」だと思っていたが、主催者は杉江さんという方で、既に他界し、夫人がAmi助産院のライブに来ていたようだ。俺は「百町森書店」ライブの打ち上げで杉江さんと会っているが、どんな方だったのかまったく記憶にない。

助産院のKさん夫妻(以下敬称略)といつ知己を得たのか、よく覚えていない。水族館劇場を主宰する桃山邑さん(以下敬称略)が共通の友人、それから静岡で「文遊舎」という古書店を開いているMさんのところで、助産師のAさん(以下敬称略)がアルバイトをしていたと聞いたような気がする。

他人の出会いは覚えていても、自分の出会いは忘れてしまうようだ。

友部のライブに期待していたのは『一本道』である。予想は的中し、アンコールで歌ってくれた。
『いじわるそうな女の子』という曲が特に印象に残っている。先月発売された新しいアルバムに収録されている。会場で販売されていたから、買ってサインをもらえばよかったと、いま悔やんでいる。

会場の入り口で、「あやめだろ?」と日焼けした大男に声をかけられた。「水族館劇場の岩本です。俺の事なんか憶えていないだろうな」と自嘲ぎみに言う。
憶えている。岩本さん(以下敬称略)が出演した芝居を、俺は家内と観に行った。岩本の背中には、大きな鯉の彫り物があった。打ち上げでタトゥーの話題になった。家内が胸のタトゥーを見せた。俺は自分のタトゥーを見せた記憶がないから、これは90年4月から92年11月の間に起きた事だ。
「これ、シールなんだよ」と岩本が豪快に笑った。

水族館劇場の舞台美術を担当していた岩本は、いまは同劇団を離れて郷里の宇和島にいる。創作をし、友部正人やカルメン・マキのコンサートを企画主催したりしている。

客席には水族館劇場の女優である千代次さん(以下敬称略)がいたが、俺は気づかなかった。Ami助産院の五周年を祝いに駆けつけた、水族館劇場の座付き作家・演出の桃山邑は、友部のライブには間に合わなかった。

曲馬館時代の桃山を俺は知らないのかもしれない。
俺は浜松で曲馬館の公演を観た。解散する前の最後の旅興行だった。『修羅と砦』という演目だったはずだが、確信がない。で、この芝居に出演していた桃山が怪我で入院し、代役を劇作・演出の翆羅臼がつとめたという話を聞いた憶えがあるのだ。
黒いサングラスの女優が印象的だった。腕にカラスをとまらせていた。彼女は劇団の自主稽古でいきなりリストカットをしてしまった。鮮血が噴水のように吹き出したそうだ。曲馬館時代かその後の事件か、詳しくは知らない。伝説である。

解散した曲馬館は、三つの劇団に分かれた。
翆羅臼を中心とした「夢一族」、桜井大造を中心とした「風の旅団」、そして桃山を中心とした「驪團」である。活動を開始したのは「驪團」が一番早かった。メンバーの平均年齢は23、4歳だったのではなかろうか。

とりあえずここまで書いて、徐々に追記する。