2010年8月29日日曜日

袴田浩之-水銀座-寺田町

8月27日、俺は浜松のルクレチアで行われた「幻想夜会」に水銀座(AYAME-鈴木大治、鷹匠訓子、藤枝菊次郎)で出演してきた。
これは浜松在住の映像作家・袴田浩之さん(以下敬称略)が主催した、水銀座と寺田町さん(以下敬称略)のジョイントイベントであった。

寺田町ファンサイト http://www12.plala.or.jp/teradamachifan/

俺は以前、寺田町のライブをバンドでみている。「寺田町グループ」という名前だった。15年くらい昔のこと。アコーディオン奏者がいたことを憶えていたので、それを寺田町に話したら、同楽器が参加していたのはごく短い期間なので、俺は貴重なライブを体験していたらしい。
だが、それがどこでみたのか思い出せないのである。俺は浜松でみたとばかり思い込んでいたのだが、バンドでは浜松ライブは行っていないらしい。

寺田町から宮島くん(以下敬称略)の名前を聞いたのには仰天した。寺田町と宮島は音楽仲間だった。寺田町が宮島から俺の名前を聞いたのはなんと30年前だそうだ。静岡に芝居をやっているあやめという男がいて、と。
30年前、宮島は名古屋のイベント会社でバイトをしていた。主に外タレのコンサートを請け負う会社で、静岡で催される外タレコンサートはたいがい この会社の仕事だった。静岡の音楽イベントには俺も時々裏方でもぐりこんでいて、そこで宮島と知り合った。その後、宮島は海外放浪の旅に出て、死んだとか 麻薬で捕まったとか殺人事件に関与して指名手配されたとか、あれこれ噂が流れたが、俺が数度の転居をするうちに消息もとだえた。
宮島と再会したのは20年後。2001年に名古屋で行われた「ペヨトル工房解散イベント」でのこと。出演していたピアノ・バイオリンデュオのバイ オリン奏者が、演奏終了後、突然「あやめだよね?」と声をかけてきたのである。仰天した、宮島だった。あんまりびっくりして、宮島の電話番号も住所もメア ドも聞き損ねた。同席していた俺の連れが、宮島のCDを買ったので、彼女からライナーにクレジットされた連絡先を教えてもらおうと思っているうちに、また また10年が過ぎてしまった。

宮嶋哉行 http://web.mac.com/rasaikou.01/iWeb/409CBEB4-18B7-4772-95F6-0241DFA557C2/Welcome.html

「幻想夜会」には、浜松で農業をしているSが来てくれた。Sは、水銀座が80年代初頭に「死天使館」を名のっていた頃のメンバーである。静岡大学の学生だったSは、卒業するとドキュメンタリー映画製作の仕事に就いた。その後、郷里の浜松に戻り、家業の農園を次いだ。
Sに会うのは15年、あるいは20年ぶりだった。俺は静岡を発つ時、Sに電話をした。久しぶりだな、今夜浜松で芝居をやるぜ。遅れるかもしれないと言いながら、Sは一番乗りで会場に来た。
俺はSに宮島のことを聞いた。そもそも宮島を俺に紹介したのはSなのである。Sはどうしても宮島が思い出せなかった。おい、25年ぶりにみた俺の芝居はどうだ、と俺はSに問うた。「落語だね」とSは言った。あいかわらずシニカルな男だった。
Sの弟は「鈴木さんの会」とやらを主宰しているらしい。俺も入るかナ、と思った。

ひかり農園代表鈴木宣仁 http://hikarinouen.hamazo.tv/

寺田町との「幻想夜会」は楽しかった。開演前の「前・打ち上げ」も終演後の「打ち上げ」も実に愉快だった。パンクでアナーキーで豪快な20世紀少 年と笑いあうのはほんとうに久しぶりだった。寺田町は袴田浩之と水銀座に、「チンピラ」という歌をアンコール曲でプレゼントしてくれた。

袴田浩之は、水銀座で内村玉斎という「役」を演じ続けている。
「因縁力」の一日だった。

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