2009年11月7日土曜日

―20世紀は終わらない―

松井秀喜と9・11同時多発テロと『アンダーワールド』

1951年10月3日、ニューヨークのポログラウンドではブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツがリーグ優勝をかけてプレーオフを戦っていた。
招待席で観戦している四人の男は、フランク・シナトラ、ジャッキー・グリースン、トゥーツ・ショー、そしてFBI長官エドガー・フーヴァーである。
試合途中、フーヴァーはFBIの捜査官から深刻な報告を受ける。ソ連が秘密裡に核実験を行ったのだった。

ドン・デリーロの『アンダーワールド』は、このように始まる。
『アンダーワールド』は9・11を幻視した衝撃的な世紀末小説である。
20世紀を継続させるため、吾輩はこの小説を再読することにした。

決勝戦は、9回裏、ジャイアンツが奇跡の逆転勝利をおさめる。熱狂するスタジアム。観客は、プログラムやチケットの半券や手にしていた雑誌から破りとられたページや携帯用のカレンダーやつぶされた空の煙草の箱や何年間も財布に挟んで持ち歩いていた手紙やスナップ写真やアイスクリームサンドイッチのべとつく包装紙を引きちぎってグラウンドに投げ込む。ありとあらゆる紙類が紙吹雪となって選手達の頭上に舞う。

吾輩は松井秀喜がワールドシリーズMVPを受賞した試合と、『アンダーワールド』のプロローグを重ねる。そして9・11を重ねる。
ニューヨーク市をパレードする松井秀喜らヤンキース選手の頭上には、おびただしい紙吹雪が舞っていた。ニューヨークのビジネスマンたちはオフィスの窓を開け放ち、クズ書類をシュレッダーにかけて作った紙吹雪を投じる。
これとよく似た光景を視た、と人々は思わないだろうか。吾輩は視た。2001年、燃え上がるWTCの窓々から膨大な書類が放たれ、終末の放射能灰のごとく地上に降った。人々は思い出さないだろうか。

ジャイアンツの優勝に歓喜する人々の中で、試合の実況中継をしていたラジオアナウンサーはこう思う。
《これは別種の歴史かもしれないとラスは考える。皆がここから持ち帰り、皆をまたとない貴重な点において束ねてくれるもの、ある記憶との結びつきにおいて守ってくれるもの。アムステルダム街では人々が街灯に昇り、リトルイタリーではクラクションが鳴り響く。こういう可能性はないだろうか? 二十世 紀のど真ん中に起きたこの事件が、高名なる指導者やサングラスをかけた冷徹な将軍の壮大な戦略――我々の夢を侵害する周到な計画――よりも遥かに末永く人々の皮膚に浸透するという可能性。ラスとしては信じたい、こうしたことが目には見えないところで我々を守ってくれているのだ、と。》 『アンダーワールド  上巻』82・83p

吾輩は信じるよ。吾輩の演劇はそうであった。

だが、暗黒面の記憶も人々を結びつける。災厄や悲惨が人々をつなぐ。その記憶は決して我々を守りはしないだろう。

2009年10月29日木曜日

J・G・バラード追悼 その5

J・G・バラードは、自動車事故とセックスを連結させた異常小説『クラッシュ』を書き上げた二週間後、自らが本当に自動車事故にあってしまう。バラードは、現実がフィクションを模倣し始めたのだ、と言い放った。

吾輩はこのところずっとバラードの事を考えていた。むかし読んだ『沈んだ世界』や『奇跡の大河』が気になっていた。そこへ起きたのが、吾輩の携帯電話の水没である。

おシャカになった携帯電話は4年使っている。娘の成長の記録画像が全て入っていた。電話番号やメールアドレスは、その前の携帯電話から引き継いできたから、10年分、吾輩の二十一世紀のデータが丸ごと消えてしまった。

吾輩は途方に暮れているのである。これはバラード的な状況であるのか。

昨夜、浅田彰と日野啓三がバラードについて語った対談を読んだ。浅田の対談集『20世紀文化の臨界』に収録されている。初出は「ユリイカ」のJ・G・バラード特集号。

吾輩のバラード関連メモにこの対談のことが書かれていたので、あらためて再読したのである。

吾輩もようやく浅田彰の芯の部分のバカさが判るようになった。

《とくに日本のSFはひどいという気がする。読むに足るものは僅かしかないでしょう。もしかすると日野さんが唯一のSF作家かもしれない(笑)》と太鼓持ちになるあたりはまあ(笑)ですむが、次のような文言になるともうペテンである。
《まさにボードリヤール的なシミュレーション原理そのものです。自然のシミュラクルとしてのオペラティックなユートピア物語でもなく、プロダク ティヴ/プロジェクティヴなシミュラクルとしてのオペラトワールなSFでもない、シミュレーションのシミュラクルとしてのオペラシオネルなハイパーリア ル・フィクション》
何を言いたいのか。すっこんでろ。こういう物言いがニューアカだったのかとがっくり来た。

吾輩のバラード関連メモも記録しておく。
〈■2003年1月〉の附記がある。

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J・G・バラードの再読を思いたった。手始めに『沈んだ世界』。
伊藤典夫は『沈んだ世界』の解説で、一九六七年(?)に開催されたボスコーンⅣでの出来事を紹介している。
《二日にわたるその催しの呼びものの一つは、テープにふきこまれたイギリスの若い作家たちのシンポジウムだった。》
《イフ誌に(フレデリック・)ポールが書いているところによると、テープの声の一つはこんなことをいったらしい。「もう血なまぐさい土星への旅行はあきあきした。われわれは実験したい。自由になりたい。バローズのような、新しい文章形式を読みたいのだ」》
「バローズ」とはW・S・バロウズの事である。発言の主は誰のだったのだろうか。

一九六五年、ロンドンで第二十三回世界SF大会が開かれたとき、取材したタイムズは、SFが従来のサイエンス・フィクションからスペキュレイティ ヴ・フィクションへと領域を拡張している動きを取り上げ、〈予言者は『沈んだ世界』の作者、J・G・バラード、空に輝く星は、ウィリアム・バローズ〉と記 した。

それから解説にはこんなことも。
《キングズリー・エイミスは、バラードと彼の『沈んだ世界』をこんなふうに評している。
「バラードは、戦後の小説界に現れたもっとも注目される新星の一人である。熱気こもるジャングルの世界に展開されるこの物語は、コンラッドを思わせる圧倒的な力に満ちている」》
コンラッドの名が出たのは、『沈んだ世界』と『闇の奥』を重ね合わせたからだろう。
ぼくは『闇の奥』は未読だが、『沈んだ世界』は『地獄の黙示録』と通底していると感じた。ならば『地獄の黙示録』の源流に位置する『闇の奥』も、どこかで『沈んだ世界』とリンクしているはずだ。

新春早々、浅田彰の対談集『20世紀文化の臨界』を買った。
1986年6月の「ユリイカ J・G・バラード特集号」に掲載された日野啓三との対談が収録されている。

浅田の発言。
《もう少し郊外ということにこだわると、『リ/サーチ』のバラード特集――これは水際立った出来映えですが――の中のインタヴュー(『GS4』に 邦訳)で、彼は、一見静穏な郊外こそ実は熾烈な戦場なのだ、と言っているんですね。で、あくまでも衛生的なドイツの郊外において自由とはバーダー=マイン ホフの狂気のほかにない、なんて言ってて、その言葉がZTTから出た〈プロパガンダ〉のディスクのジャケットにさりげなく引用されていたりする。》
ううむ、「プロパガンダ」のジャケットの事は知らなかったな。よく聴いていたけれど、レコードは持っていなかった。もっともそんな一節があっても読めやしないけど。

こんなことも言っている。
《たとえば、トレヴァー・ホーンのZTTは、さっきの〈プロパガンダ〉以外にも、好んでバラードを引用する。ちなみに彼はグレース・ジョーンズの 新作をプロデュースしていますけれど、ミサイルのような身体を誇るこの歌手はバラードのお気に入りなんですね。それから、バロウズやバラードの特集で話題 になった『リ/サーチ』にしたって、インダストリアル系のバンド、たとえばサイキックTVやSPKなんかを、サヴァイヴァル・リサーチ・ラボラトリーのよ うなデッドテック・パフォーマンス・グループと並んで取り上げてきた雑誌でしょう。その辺の出会いが面白いんじゃないかと思うんです。》

この対談集を読んでいて気づいたが、
浅田彰は「大原まり子」を高く評価している。
ぼくは大原まり子を読んでいないので、浅田の評価の正当性に言及することは出来ない。
が、なんとなく滑稽な心持ちになる。

その昔、浅田彰のデビュー作にして名著『構造と力』を読み、真っ先に受けたのは「スプーン一杯」という言葉の衝撃だった。
「ええっ、落合恵子かよっ!」とぼくは思ったのだった。
『スプーン一杯の幸せ』は落合恵子(その頃はまだ「レモンちゃん」と呼ばれていたはず)の著書。1976年に祥伝社から刊行され、ベストセラーになったと記憶している。浅田の念頭には、脳内には、確かにこの本がある。

『構造と力』の冒頭におかれた「序に代えて 1」に浅田はこう書いた。
《しかし、卒業のための進級、就職のための卒業と、手段-目的の連鎖を追っていっても、目的はどんどん彼方へと後退し、あとには即時充足的な意味 を喪った手段の残骸が連なっているばかり、無理に目を凝らしてみても、官僚や医師としての成功、「なんとなく、クリスタル」な「アッパー・ミドル」の生活 といった「幸せ」のイメージがぼんやりと浮かんでいるにすぎないのだが、その「幸せ」もたかだか「スプーン一杯」程度となると、いささか物悲しい話ではあ る。》

おやおや、現在の浅田彰のなかよし、田中康夫の出世作のタイトルも出てくる。
当時から気になっていたんだな。
『構造と力』が出版されたのは1983年。
「スプーン一杯の幸せ」が流行語になっていたかどうか記憶にないが、七年の歳月がこの言葉を風化させてしまうようなことはなかった。少なくともスキゾキッズの脳内では。

浅田彰は1957年に生まれた。京大へ進むための受験勉強をしていた頃は、レモンちゃんの深夜放送でも聴いていたのだろうか。

どうもこのフレーズを使うことについては浅田は確信犯である。
「序に代えて 1」に続く「2」でも、浅田はこのように記す。
《このように、近代社会における知のための知は、失われたコスモスにかわって「聖なる天蓋」――「聖」といってもそれこそ「スプーン一杯」程度ではあるが――の役割を果たし、人々に幻想的安定感を与えることになる。》
バランスが悪いように思う。「スプーン一杯」が突出している。「スプーン一杯の聖」と読んでみたが、これも間が抜けている。

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「沈んだ世界」の後に浅田彰を罵倒。ああ、繰り返している吾輩。バラード的。

2009年10月25日日曜日

J・G・バラード追悼 その4

バラード追悼は続く。ちょうど10年前に書いた文章が出てきた。
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全体的に見れば正気で健全な生活の中で、
狂気だけが自由だったのだ。
─────── J.G.バラード『殺す』

『殺す』J.G.バラード

おいおい、ちょっとこのタイトルはなんとかならんのか、と思いながらも、バラードだからと、本文を開きもせずに買ってしまった。でも原題の『ランニング・ワイルド』も、なんだか安っぽいガキバンドの曲名みたいだ。
「次は俺たちのオリジナル曲です、ランニング・ワイルド!」、うぷぷっ。

バラードは時代の犯罪の表象となってしまったような人物に、なみなみならぬ関心をよせている。例えばオズワルド、例えばマンソン、例えばチャップ マン。なるほど彼らの背後には六十年代、七十年代、八十年代のツァイトガイストが揺れている。けれどもそれも道理、彼らを犯罪のイコンに仕立て上げたのは メディアであり、メディアこそがツァイトガイストそのものだからだ。

現代の犯罪を受容し、商品化してゆくのはメディアである。ケネディ暗殺、豊田商事会長刺殺事件、オウム幹部刺殺事件、これらはメディアの目の前で 起きた殺人であり、公開された殺人の記録だった。その現場にメディアがいなければ事件は起きなかったと読むのは乱暴だが、メディアによっては殺人は阻止で きなかったのは確かなことだ。
そしてメディアが潜在的な犯罪を誘引していることもありえぬことではない。

昨今連続する毒物・薬物事件の象徴は和歌山ヒ素カレー事件の林真須美容疑者である。連日テレビで放映されていた林真須美容疑者の映像は、故意か偶 然か、ソフトフォーカスとスローモーションを多用した、あたかもアイドルタレントのプロモーションビデオのようなつくりであった。林真須美容疑者の笑顔は 世紀末のイコンとして記憶されるだろう。

たぶん風邪のせいだ。『殺す』を購入したその夜、突然始まった激しい胃の痛みに一晩中苦しめられ、翌日も痛みは一向におさまらず、延々、床に臥してしまった。24時間後、ようやく苦痛が退いたところで一気に読み通した。

ある朝、ロンドン郊外の高級住宅街で住人三十二人が殺され、十三人の子供が誘拐される。犯人の目的は何か、子供たちはいったいどこへ? 事件の真 相を精神科医が追う、となればみもふたもない推理小説だが、そこは怪物バラード、当世はやりのプロファイリングなどとは無縁、読み始めてものの五分もすれ ば、容易に読者にも犯人の見当はつく。
バラードが探査するのは無動機殺人が発生するプロセスである。
『殺す』の語り手である精神科医は事件を非情緒的に解釈してゆく。殺人者にバラード流の動機を与えるのである。

憎しみの結果として生じるのではない殺人。犠牲者の死が何の意味も持たない殺人。感情とは無関係に、犠牲者がただ排除されるべき障壁として殺人が遂行される事態。これが無動機殺人の特徴だと想定されている。
障壁排除の殺人には第三者が存在しない。テロリズムは障壁排除ではあるが、無動機ではない。テロは常に第三者を意識して行われている。殺人は革命 の第一歩であったり、勢力拡張の手段であったり、必ず現実社会との取引がある。それゆえ、テロにどれほどの大義名分があろうとも、結果を社会(第三者)の 審判に委ねなければならない。

精神科医は、どうやら殺人者に共感しているようだ。彼らには「選択の余地はなかった」と。現代社会は彼らを裁くことができるのだろうか? 林真須 美や松本智津夫や「キレた」少年たちを裁くことが可能なのか? 犯罪は犯罪を行う者が、それが社会とのつながりにおいて罪であることを認めているからこ そ、犯罪として成立しているのである。罪の意識をまったく欠いた殺人は、もはや犯罪とは呼べない。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
殺人は罪である。このルールを徹底させるためには、戦争における殺人、すなわち「選択の余地はなかった」殺人が明確な犯罪であると断言しなければならないとぼくは思う。

『殺す』の結論はこうだ。
現実から逃避するために殺人が行われた。彼らは愛情と保護の暴虐から自由になるために殺人を犯す。現代社会の管理・秩序に閉塞された状況から逃走するためにはワイルドであること。それが殺人を誘発するのであると。
でも待てよ、そんなことはバラードは既に傑作『ハイ‐ライズ』で描ききっているじゃないか。なにをいまさら。

ああそうか、だからぼくは、これは八十年代の物語なんだと妙に懐古的な気分になってしまうんだ。

 1980年のある日のこと。ぼくと同じ年に生まれたイチリュウノブヤという男が、郊外の新興住宅地の自宅で、金属バットを両親の頭部めがけてフルスイングした。ジャストミート。その瞬間から、それは開始されたのだった。

 ぼくたちは片っ端から破壊していった。劇場という制度を破壊し、背景(装置)を破壊し、メディアとの接触を断ち、公演収支の帳尻あわせを無視し、そのあげくに観客の眼差しさえも否定してしまった。ぼくたちは演劇の廃墟の中で、お互いに仲間を見回してこう思っていたのだ。
 「誰か死んでくれないものだろうか?」
 死者は出なかった。けれどもぼくは自らの精神を破壊してしまった。

 ぼくたちはたった一度しか起こらないことのために命がけだった。でも、そのこと、たった一度しか起こらないことというのは、それはほんとうに価値のあることだったのだろうか。

(1999年)

2009年10月23日金曜日

土方巽と三島由紀夫がユビュ王で出会う(阿部定を追加)

巽孝之のJ・G・バラード追悼評論を読んで、それからウェブ上のバラードを逍遥していたら、土方巽のフィルムに辿り着いたというお笑い系因縁力。
http://www.ubu.com/film/tatsumi_summer.html

京大西部講堂の映像に吾輩の八〇年代がフラッシュバック。

このフィルム・アーカイブのボリュームは圧倒的である。
http://www.ubu.com/film/index.html
ユーチューブのように動画が細切れになっていないのがいい。
寺山修司の実験映画も揃っている。
サイト名の由来はジャリの『ユビュ王』と推測。

ちよっと腑に落ちないのは、ページに置いてある画像は『アンダルシアの犬』の有名なシーンだと思うのだが、その映像が見つからない。人名リストにブニュエルがないのも不思議。

三島由紀夫の『憂國』を初めてみた。
http://www.ubu.com/film/mishima_rite.html

土方巽のフィルム『夏の嵐』は「幡儀大踏鑑」の公演を記録したもので、題字を三島由紀夫が書いている、とここでぐるっとまわって土方巽に戻った。

土方巽は阿部定のファンだった。阿部定が土方巽のアイドルだった。
以前、堀ノ内雅一の『阿部定正伝』で、土方巽と阿部定のツーショットをみた。ウェブを探したら、あるある。
阿部定はこのとき料亭の女将、彼女の貫禄に比べて土方巽のなんと初々しい事よ。

それで、この一連のグルグルは何つながりなのかナと考えた結果、
『アンダルシアの犬』――剃刀で眼球切り裂き
『憂國』――割腹ハラキリ
阿部定――おちんちんチョン切り
で、CUTつながりか。しかし、CUTではつながりません、というのが本日のオチ。

2009年10月21日水曜日

J・G・バラード追悼 その3

SFマガジン11月号に訳出された『太陽からの知らせ』(1981)を読んだ。バラードワールド、フルスロットルである。吾輩の20世紀末がフラッシュ バックする。吾輩が砂漠にひきよせられるのはバラードの影響だったのか? タクラマカン砂漠とホドロフスキーの『エル・トポ』とプロヤスの『スピリッツ・ オブ・ジ・エア』が重なり合う。

過日、三歳半の娘と書店に行った。吾輩は「J・G・バラード追悼特集」のSFマガジンを求め、娘にはポケモン・キャラクター・トランプを買った。それからスターバックスに入り、娘はテーブルにトランプを広げ、吾輩は購入本を拾い読みした。

娘が吾輩のPCにかけより、19日の吾輩の日記を指さす。
トップにのせたSFマガジンの表紙、すなわちJ・G・バラードの写真を指さしてワーワー言うのである。三歳半の娘はバラードの顔を覚えた。

昔、「RE/SEARCH」のJ・G・バラード号を買った。いまも手元にある。吾輩はバロウズ本やディック本は手放さなかったが、どういうわけか バラード本はあっさりと売り払った。読むとそのまま古書店の店頭行きだった。『太陽の帝国』も『残虐行為展覧会』も『殺す』も『奇跡の大河』も『ヴァーミ リオン・サンズ』も『ハイライズ』も『コカインナイト』も創元SF文庫の名作群も、全部次々と。惜しいという気持ちにならなかったし、必要な時が来れば手 に入ると思っていた。だから「RE/SEARCH」だけが吾輩とバラードのつなぎ目である。

「RE/SEARCH」の表紙にはアナ・バラッドの写真が使われている。アナ・バラッドの写真集はペヨトル工房が刊行した。解説を浅田彰が書いている。吾輩は帯の惹句で買った。
《J・G・バラードの「終末の浜辺」、「近未来の神話」が、ここに息づく。映像は、未来の記憶と、原始の予感をうつしだす。》
『アナ・バラッド写真集』もたちまち古書店の書棚に納まったが、なぜかこの本は売れなかった。20年以上も。

「ANA BARRADO」でネットを検索したが公式サイトはないようだ。だがここで因縁力発動。「RE/SEARCH」のブログを発見したのである(笑)
http://www.researchpubs.com/Blog/
十数年前、アメリカの友人が、「RE/SEARCH」は身売りして「V/Search」になったと教えてくれた。たしかに「RE/SEARCH」の新しい号は発刊されず、「V/Search」社がバックナンバーを増刷しているだけのようだった。復活していたのか?

「RE/SEARCH」のBlogrollに懐かしい名を見つけた。「Ongaku Otaku」。これまた十数年前に、シカゴのアングラな(笑)カルトショップで購入した「Ongaku Otaku」は、日本のノイズ・アヴァンギャルド音楽を紹介するヘンな雑誌だった。
おそるおそるリンクを辿っていくと…、
http://www.charnel.com/ongaku/
あっはっは、あったあった、吾輩が買った号は創刊号だったのだな。

そういえば、どこへやったかな「Ongaku Otaku Issue #1」。
探すまでもなかった。吾輩の背後の棚に、「Re/Search No. 8/9: J. G. Ballard」と 『アナ・バラッド写真集』と「Ongaku Otaku」が揃っていた。

ああ、これは凄い。
News From The Sun(太陽からの知らせ)
http://www.jgballard.ca/pringle_news_from_the_sun/news_from_sun_jgb_news.html

「RE/SEARCH」のリンクをたどったら、UbuWebというところに辿り着いた。
サイト名の由来はジャリの『ユビュ王』と推測。
土方巽のフィルムを見つけて驚く。
http://www.ubu.com/film/tatsumi_summer.html

うわー、ここ、凄すぎ!
http://www.ubu.com/film/index.html

2009年10月19日月曜日

J・G・バラード追悼 その2









エコテロリズムは初見では判りにくい言葉だった。環境に対するテロリズム、つまり作為的な環境破壊かと勘違いしていた。
《環境問題や動物の権利擁護を名目に掲げた非合法の破壊、脅迫、暴行などのテロリズム、及び、それら活動を正当化する思想のこと》(出典Wikipedia)だったのだな。

SFマガジン11月号のJ・G・バラード追悼特集で、巽孝之はバラードとエコテロリズムをリンクさせているが、どうもピンと来ない。

巽の文章は、《八〇年代サイバーパンク運動の先鞭を付けた》映画『ブレードランナー』が公開された1982年の回想から始まる。
この年、「第21回日本SF大会」が開催され、バラードは《日本SF界に向けてひとつの強烈なメッセージを放った》。

「(前略)今日、眠れる三巨人といったら科学と時間と想像力ですが、日本に関する限り、この三者はどんなにぐっすり眠り続けていようとすぐに目覚 めて、限りない変容の秘力をふるわんとしているのです。真の時間が依然流れているのは他ならぬ日本のみでありますから、引き続いて未来が期待されるのも、 全世界の国々の内でも日本のみと言えましょう。比べてみても、アメリカを初めとする他の全ての国々というのは、無限の現在にすごしているにすぎません。で すから、今こそ、あの日本人による軍事的大偉業、一九四一年十二月七日の真珠湾攻撃を、想像力の世界でくりかえすべき時なのです。
 それには、日本SF作家を人間精神の空に飛ばし、それぞれ未来という魚雷をもたせて、自己満足と惰性に溺れた並みいる戦闘艦隊を、一気に撃沈してしまうことです!」

リップサービスとしてはこれは過剰である。バラードは本気だったのか? 上海で生まれて少年の目で日本軍侵攻を観察していた特殊な経験が、なにか特殊な日本観を形成しているのか? それからバラードの初期の破滅四部作は、大岡昇平の『野火』が強く影響している事とか。

《バラードがたえず立ち戻る文学的聖典にはダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、ジョゼフ・コン ラッドの『闇の奥』などが挙げられる》と巽は書く。ここから、『白鯨』-シー・シェパード-エコテロリズム、というリンクを巽は仕掛けるが、どうもピンと こない。

バラードの80年代の作品『奇跡の大河』は、アフリカの砂漠に突然、大河が出現し、学者がその源流へ船で遡って行くという物語だった。吾輩は結末 を憶えていない。この小説は『闇の奥』とリンクしている、と吾輩は思う。で、『闇の奥』はコッポラ監督の『地獄の黙示録』のネタ元だから、吾輩は『地獄の 黙示録』をJ・G・バラード的と宣言するのである。

もうひとつ気になったのは、巽が映画『日本沈没・リメイク版』と『沈んだ世界』を重ね合わせること。巽はこう書く。《樋口版『日本沈没』はバラードの『沈んだ世界』の映画化と錯覚させるほどのヴィジョンを示す》。
吾輩は『日本沈没』を未見にもかかわらず、エー、と思うのである。バラードの日本SF作家を鼓舞するアジテーションと同じくらい、エー、と思うのである。
ちなみに吾輩は、『崖の上のポニョ』を映画館で観て、こ、これは、J・G・バラードの世界だ、と衝撃を受けた。
J・G・バラード追悼 その1

昔、こんな文章を書いた。抜粋。

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クラッシュ(3)

 1998年、イギリスの作家J・G・バラードの『殺す』が邦訳出版された。翻訳家の柳下毅一郎は、同書の解説で次のように書いている。
《バラードが導き出す結論は必ずしも常識とは合致しない。自動車事故はエロチックな経験だと主張されても、首を傾げる人の方が多いだろう。にもか かわらず、バラードの仮説にはまちがいなく真実のかけらがある。ダイアナ英皇太子妃がパパラッチ相手に壮絶なカーチェイスを繰りひろげ、あげくに派手な事 故死を遂げたとき、誰もがバラードの〝予言〟を思い出したはずだ。それはこれ以上ないほど見事な、メディアとセレブリティの華麗な衝突(クラッシュ)だっ た。》

 2002年、バラードの『コカイン・ナイト』が邦訳出版された。訳者の山田和子は同書のあとがきに《バラードが警告していたことが現実となっ た》と記した。山田が『コカイン・ナイト』の最終校正をしていたのは、2001年9月11日の深夜だった。そのさなか、リアルタイムで、彼女はニューヨー クで起きた「同時多発テロ」を知ったのである。

 スロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは「9.11同時多発テロ」にコメントした文章『現実の砂漠にようこそ』でこう語った。
《世界貿易センタービルの破壊とハリウッドのカタストロフィ映画の関係は、スプラッターもののポルノとありきたりのSMポルノの関係に譬えられないだろうか。》
(朝日出版社刊『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』がこのジジェクの論考を所収している。)

 バラードは1973年に発表した『クラッシュ』を、「世界最初のテクノロジーに基づくポルノグラフィー」と自ら称した。『クラッシュ』は刊行当 初より高い評価を受けていたが、日本語版が出版されるまでには二十年の歳月を要した。邦訳が待ち望まれていた小説であったにもかかわらず、長らく刊行に踏 み切る出版社が現れなかったのは、『クラッシュ』の内容が、どうみても一般的とは言い難いものであったためだ。交通事故の瞬間に性的エクスタシーを感じる いささか特殊(「変態」という単語は使いません)な人々がいささか特殊な行為に耽るすこぶる特殊な物語がベストセラーになると考える出版人はかなり特殊で ある。幸いなことに版元のペヨトル工房は、激しく特殊な出版社だった。それ故、ペヨトル工房は「伝説の出版社」となり、それ故、二十一世紀を待たずに消え た。
『クラッシュ』はイギリスで初版が刊行され、続いて、バラード自身による序文を加えた版がフランスで出版される。1992年に刊行された日本版 にも、この序文は収録された。バラードは自作を《極端な状況における極端なメタファー、極端な危機の折にのみ利用される一か八かの手引書》と語り、そして 次のような一節で序文を締め括った。
《言うまでもなかろうが、『クラッシュ』の究極の役割は警告にある。それはテクノロジカル・ランドスケープの辺土にあって、ますます強まる声で呼びかけるこの野蛮な、エロティックな、光輝く領域への警戒信号なのである。》
 日本版『クラッシュ』の訳者は前述の柳下毅一郎、解説はSFを中心にアメリカ文学を批評している巽孝之だった(そのタイトルは、奇しくも「同時 多発への道はどれか」である!)。巽は、イギリスでの『クラッシュ』出版と期を同じくして、大西洋をはさんだ大陸ではピンチョンの『重力の虹』が刊行され た「偶然」を、文学史上の「同時多発」的「衝突」とみる。今にして思えば、巽もバラードの予言に共振していたのかもしれない。
《一九七三年、自動車衝突がセックスの同義語と化し、セックスがミサイル爆撃の同義語と化す。そのようにテクノロジーとセクシュアリティが衝突 し、その地点においてバラードの属してきた領分同士が衝突する時、最も二十世紀的な時代精神が、(中略)ぼんやりとその素顔をのぞかせる。》
『重力の虹』もまた、特殊な小説だ。物語の主人公、スロースロップは、《赤ん坊のころミサイル発射と性器勃起が同時稼動するようハーバード大学 で条件付けを施された》。それにより、彼が《セックスする場所にはあとで必ずミサイルが降下する》という異様な因果関係が出現するのである。
 ピンチョンはミサイルの弾道から「重力の虹」という言葉を考えたのだろう。発射地点と落下地点をつなぐ放物線を虹に見立てて。だが、しかし、「重力の虹」はもっと別な形で視覚化された。

 真夜中、ぼくは崩壊するWTCをテレビで見ていた。二つの塔は自らの重みを支えきれずに押し潰されていった。「重力の虹」という言葉が乱反射し た。いくつかの偶然の符合と、いくつかの予言と、いくつかの予感が一点で交差し、ぼんやりとした「二十世紀的な時代精神」は、はっきりとその凶暴な姿を現 した。


クラッシュ(4)

2001年9月11日の深夜、アメリカで起きた異常事態を知った翻訳家の山田和子は、《バラードが警告していたことが現実となった》と思った。 ちょうど同じ頃、ドン・デリーロの『アンダーワールド』を訳し終えたばかりの上岡伸雄は、世界貿易センタービルの倒壊に名状しがたい既視感を抱いた。
バラードの「警告」は、デリーロの「予告」と置き換えることも出来る。例えば次に引用するような『アンダーワールド』の一場面は、ドン・デリーロというアメリカ人作家が「同時多発テロ」を幻視していたと思わせる根拠にはならないだろうか。
《「二つではなくて、ひとつのものとして捉えてるんです」と彼女は言った。「もちろんツイン・タワーであることは明らかなんですけど。でも、存在としてはひとつじゃありません?」
「非常に恐ろしい存在です、でも見ないわけにはいかないんですよね」
「ええ、見ないわけにはいかないんです」》『アンダーワールド』日本版上巻p546-547
ここで語られている「非常に恐ろしい存在」とは、ニューヨークのWTCである。デリーロがこの物語を書いている頃、世界はまだ冷戦終結の希望が広 がる二十世紀だった。ノストラダムスの予言を信じて集団自殺するようなうっかり者は珍しくなかったが、WTCの存在しない新世紀を想像している人々はごく 少数だった。たぶん。
『アンダーワールド』の装幀にはアンドレ・ケルテスが撮影したWTCの写真が使われている(未見だが、アメリカで出版された元版も、同じ装幀のようだ)。それはこんな写真だ。

十字架を屋根に掲げた教会の背後にWTCが屹立し(追悼と鎮魂のために十字架の形状をした鉄骨―建築の残骸―がグランドゼロに残された)、雲が低 くビルの上層部を覆い隠して垂れこめ(炎上するビルから立ちのぼる黒煙がニューヨークの空に広がる)、中空には一羽の鳥―おそらくは猛禽類―が舞っている (金属の翼を持った鳥がWTCに向かって飛んでいった)。

暗示的であり、予言的な画像。その印象を強調するためなのだろうか、日本版には同書からの引用が書籍帯の惹句として使われている。
《「このビルがぜんぶ粉々に崩壊するのが目に浮かびませんか?」
彼は俺の方を見た。
「それがこのビル群の正しい見方なんだと思いませんか?」》
と、ぼくはここまで、いかにもデリーロが「同時多発テロ」を予言していたかのように書いてきた。だが現実と小説の類似はどこまでも偶然にすぎな い。いくつかの偶然が一点で交錯すると、人はついついそこに意味を見出そうとしてしまう。デリーロが《「歴史がフィクションに変わる瞬間だったのか な?」(『アンダーワールド』日本版下巻p61)》と書こうが、現実と虚構(フィクション)の衝突(クラッシュ)は、ぼくたちの内側で起きている。二つを 出会わせているのはぼくたちの想像力であり、虚実の区別がつかなくなったなどと言うのはもっぱら恥知らずな犯罪評論家たちである。
…そう判っているにもかかわらず、ぼくは『アンダーワールド』を読みすすめてゆくうち、この小説にはぼく自身も参加しているかのような奇妙な感慨を憶えたのだった。
物語には「大リーグ・グッズ」を扱うガラクタ屋が登場する。その店はこんな具合だ。
《薄汚い階段を下りていくと暗い小部屋に出て、メンバー表や古い唱歌帳、そのほか千もの野球関係の珍品が山積みになっていた。記録や書類のすべてが何本もの柱のように積み上げられ、今にも倒れそうだ。》
この場所を訪れる客に、店主は言う。
《「ここにある品々には何の美的価値もありません。色褪せてぼろぼろになったものばかり。古い紙切れ、それ以外の何でもないのです。ここに来るお客さんたちはそういう屑の山を求めているんですよ。自分がその一部だって感じられるような歴史をね」》

これはもしかしたら、ぼく自身の台詞だったのではないか、いや、やがて遠くない将来、ぼくが口にすることになる言葉なのではないか…。

世界は「クラッシュ」に満ちている。人と人が出会い、様々な事物が出会い、信号機のない交差点で車と車が出会い、超高層ビルとボーイング機がクラッシュする。あとにはトラッシュ(屑)ばかりが残る。ぼくはそのような「場所」で生計を立てている。