2009年10月19日月曜日

J・G・バラード追悼 その2









エコテロリズムは初見では判りにくい言葉だった。環境に対するテロリズム、つまり作為的な環境破壊かと勘違いしていた。
《環境問題や動物の権利擁護を名目に掲げた非合法の破壊、脅迫、暴行などのテロリズム、及び、それら活動を正当化する思想のこと》(出典Wikipedia)だったのだな。

SFマガジン11月号のJ・G・バラード追悼特集で、巽孝之はバラードとエコテロリズムをリンクさせているが、どうもピンと来ない。

巽の文章は、《八〇年代サイバーパンク運動の先鞭を付けた》映画『ブレードランナー』が公開された1982年の回想から始まる。
この年、「第21回日本SF大会」が開催され、バラードは《日本SF界に向けてひとつの強烈なメッセージを放った》。

「(前略)今日、眠れる三巨人といったら科学と時間と想像力ですが、日本に関する限り、この三者はどんなにぐっすり眠り続けていようとすぐに目覚 めて、限りない変容の秘力をふるわんとしているのです。真の時間が依然流れているのは他ならぬ日本のみでありますから、引き続いて未来が期待されるのも、 全世界の国々の内でも日本のみと言えましょう。比べてみても、アメリカを初めとする他の全ての国々というのは、無限の現在にすごしているにすぎません。で すから、今こそ、あの日本人による軍事的大偉業、一九四一年十二月七日の真珠湾攻撃を、想像力の世界でくりかえすべき時なのです。
 それには、日本SF作家を人間精神の空に飛ばし、それぞれ未来という魚雷をもたせて、自己満足と惰性に溺れた並みいる戦闘艦隊を、一気に撃沈してしまうことです!」

リップサービスとしてはこれは過剰である。バラードは本気だったのか? 上海で生まれて少年の目で日本軍侵攻を観察していた特殊な経験が、なにか特殊な日本観を形成しているのか? それからバラードの初期の破滅四部作は、大岡昇平の『野火』が強く影響している事とか。

《バラードがたえず立ち戻る文学的聖典にはダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、ジョゼフ・コン ラッドの『闇の奥』などが挙げられる》と巽は書く。ここから、『白鯨』-シー・シェパード-エコテロリズム、というリンクを巽は仕掛けるが、どうもピンと こない。

バラードの80年代の作品『奇跡の大河』は、アフリカの砂漠に突然、大河が出現し、学者がその源流へ船で遡って行くという物語だった。吾輩は結末 を憶えていない。この小説は『闇の奥』とリンクしている、と吾輩は思う。で、『闇の奥』はコッポラ監督の『地獄の黙示録』のネタ元だから、吾輩は『地獄の 黙示録』をJ・G・バラード的と宣言するのである。

もうひとつ気になったのは、巽が映画『日本沈没・リメイク版』と『沈んだ世界』を重ね合わせること。巽はこう書く。《樋口版『日本沈没』はバラードの『沈んだ世界』の映画化と錯覚させるほどのヴィジョンを示す》。
吾輩は『日本沈没』を未見にもかかわらず、エー、と思うのである。バラードの日本SF作家を鼓舞するアジテーションと同じくらい、エー、と思うのである。
ちなみに吾輩は、『崖の上のポニョ』を映画館で観て、こ、これは、J・G・バラードの世界だ、と衝撃を受けた。

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