2009年10月29日木曜日

J・G・バラード追悼 その5

J・G・バラードは、自動車事故とセックスを連結させた異常小説『クラッシュ』を書き上げた二週間後、自らが本当に自動車事故にあってしまう。バラードは、現実がフィクションを模倣し始めたのだ、と言い放った。

吾輩はこのところずっとバラードの事を考えていた。むかし読んだ『沈んだ世界』や『奇跡の大河』が気になっていた。そこへ起きたのが、吾輩の携帯電話の水没である。

おシャカになった携帯電話は4年使っている。娘の成長の記録画像が全て入っていた。電話番号やメールアドレスは、その前の携帯電話から引き継いできたから、10年分、吾輩の二十一世紀のデータが丸ごと消えてしまった。

吾輩は途方に暮れているのである。これはバラード的な状況であるのか。

昨夜、浅田彰と日野啓三がバラードについて語った対談を読んだ。浅田の対談集『20世紀文化の臨界』に収録されている。初出は「ユリイカ」のJ・G・バラード特集号。

吾輩のバラード関連メモにこの対談のことが書かれていたので、あらためて再読したのである。

吾輩もようやく浅田彰の芯の部分のバカさが判るようになった。

《とくに日本のSFはひどいという気がする。読むに足るものは僅かしかないでしょう。もしかすると日野さんが唯一のSF作家かもしれない(笑)》と太鼓持ちになるあたりはまあ(笑)ですむが、次のような文言になるともうペテンである。
《まさにボードリヤール的なシミュレーション原理そのものです。自然のシミュラクルとしてのオペラティックなユートピア物語でもなく、プロダク ティヴ/プロジェクティヴなシミュラクルとしてのオペラトワールなSFでもない、シミュレーションのシミュラクルとしてのオペラシオネルなハイパーリア ル・フィクション》
何を言いたいのか。すっこんでろ。こういう物言いがニューアカだったのかとがっくり来た。

吾輩のバラード関連メモも記録しておく。
〈■2003年1月〉の附記がある。

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J・G・バラードの再読を思いたった。手始めに『沈んだ世界』。
伊藤典夫は『沈んだ世界』の解説で、一九六七年(?)に開催されたボスコーンⅣでの出来事を紹介している。
《二日にわたるその催しの呼びものの一つは、テープにふきこまれたイギリスの若い作家たちのシンポジウムだった。》
《イフ誌に(フレデリック・)ポールが書いているところによると、テープの声の一つはこんなことをいったらしい。「もう血なまぐさい土星への旅行はあきあきした。われわれは実験したい。自由になりたい。バローズのような、新しい文章形式を読みたいのだ」》
「バローズ」とはW・S・バロウズの事である。発言の主は誰のだったのだろうか。

一九六五年、ロンドンで第二十三回世界SF大会が開かれたとき、取材したタイムズは、SFが従来のサイエンス・フィクションからスペキュレイティ ヴ・フィクションへと領域を拡張している動きを取り上げ、〈予言者は『沈んだ世界』の作者、J・G・バラード、空に輝く星は、ウィリアム・バローズ〉と記 した。

それから解説にはこんなことも。
《キングズリー・エイミスは、バラードと彼の『沈んだ世界』をこんなふうに評している。
「バラードは、戦後の小説界に現れたもっとも注目される新星の一人である。熱気こもるジャングルの世界に展開されるこの物語は、コンラッドを思わせる圧倒的な力に満ちている」》
コンラッドの名が出たのは、『沈んだ世界』と『闇の奥』を重ね合わせたからだろう。
ぼくは『闇の奥』は未読だが、『沈んだ世界』は『地獄の黙示録』と通底していると感じた。ならば『地獄の黙示録』の源流に位置する『闇の奥』も、どこかで『沈んだ世界』とリンクしているはずだ。

新春早々、浅田彰の対談集『20世紀文化の臨界』を買った。
1986年6月の「ユリイカ J・G・バラード特集号」に掲載された日野啓三との対談が収録されている。

浅田の発言。
《もう少し郊外ということにこだわると、『リ/サーチ』のバラード特集――これは水際立った出来映えですが――の中のインタヴュー(『GS4』に 邦訳)で、彼は、一見静穏な郊外こそ実は熾烈な戦場なのだ、と言っているんですね。で、あくまでも衛生的なドイツの郊外において自由とはバーダー=マイン ホフの狂気のほかにない、なんて言ってて、その言葉がZTTから出た〈プロパガンダ〉のディスクのジャケットにさりげなく引用されていたりする。》
ううむ、「プロパガンダ」のジャケットの事は知らなかったな。よく聴いていたけれど、レコードは持っていなかった。もっともそんな一節があっても読めやしないけど。

こんなことも言っている。
《たとえば、トレヴァー・ホーンのZTTは、さっきの〈プロパガンダ〉以外にも、好んでバラードを引用する。ちなみに彼はグレース・ジョーンズの 新作をプロデュースしていますけれど、ミサイルのような身体を誇るこの歌手はバラードのお気に入りなんですね。それから、バロウズやバラードの特集で話題 になった『リ/サーチ』にしたって、インダストリアル系のバンド、たとえばサイキックTVやSPKなんかを、サヴァイヴァル・リサーチ・ラボラトリーのよ うなデッドテック・パフォーマンス・グループと並んで取り上げてきた雑誌でしょう。その辺の出会いが面白いんじゃないかと思うんです。》

この対談集を読んでいて気づいたが、
浅田彰は「大原まり子」を高く評価している。
ぼくは大原まり子を読んでいないので、浅田の評価の正当性に言及することは出来ない。
が、なんとなく滑稽な心持ちになる。

その昔、浅田彰のデビュー作にして名著『構造と力』を読み、真っ先に受けたのは「スプーン一杯」という言葉の衝撃だった。
「ええっ、落合恵子かよっ!」とぼくは思ったのだった。
『スプーン一杯の幸せ』は落合恵子(その頃はまだ「レモンちゃん」と呼ばれていたはず)の著書。1976年に祥伝社から刊行され、ベストセラーになったと記憶している。浅田の念頭には、脳内には、確かにこの本がある。

『構造と力』の冒頭におかれた「序に代えて 1」に浅田はこう書いた。
《しかし、卒業のための進級、就職のための卒業と、手段-目的の連鎖を追っていっても、目的はどんどん彼方へと後退し、あとには即時充足的な意味 を喪った手段の残骸が連なっているばかり、無理に目を凝らしてみても、官僚や医師としての成功、「なんとなく、クリスタル」な「アッパー・ミドル」の生活 といった「幸せ」のイメージがぼんやりと浮かんでいるにすぎないのだが、その「幸せ」もたかだか「スプーン一杯」程度となると、いささか物悲しい話ではあ る。》

おやおや、現在の浅田彰のなかよし、田中康夫の出世作のタイトルも出てくる。
当時から気になっていたんだな。
『構造と力』が出版されたのは1983年。
「スプーン一杯の幸せ」が流行語になっていたかどうか記憶にないが、七年の歳月がこの言葉を風化させてしまうようなことはなかった。少なくともスキゾキッズの脳内では。

浅田彰は1957年に生まれた。京大へ進むための受験勉強をしていた頃は、レモンちゃんの深夜放送でも聴いていたのだろうか。

どうもこのフレーズを使うことについては浅田は確信犯である。
「序に代えて 1」に続く「2」でも、浅田はこのように記す。
《このように、近代社会における知のための知は、失われたコスモスにかわって「聖なる天蓋」――「聖」といってもそれこそ「スプーン一杯」程度ではあるが――の役割を果たし、人々に幻想的安定感を与えることになる。》
バランスが悪いように思う。「スプーン一杯」が突出している。「スプーン一杯の聖」と読んでみたが、これも間が抜けている。

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「沈んだ世界」の後に浅田彰を罵倒。ああ、繰り返している吾輩。バラード的。