2009年10月25日日曜日

J・G・バラード追悼 その4

バラード追悼は続く。ちょうど10年前に書いた文章が出てきた。
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全体的に見れば正気で健全な生活の中で、
狂気だけが自由だったのだ。
─────── J.G.バラード『殺す』

『殺す』J.G.バラード

おいおい、ちょっとこのタイトルはなんとかならんのか、と思いながらも、バラードだからと、本文を開きもせずに買ってしまった。でも原題の『ランニング・ワイルド』も、なんだか安っぽいガキバンドの曲名みたいだ。
「次は俺たちのオリジナル曲です、ランニング・ワイルド!」、うぷぷっ。

バラードは時代の犯罪の表象となってしまったような人物に、なみなみならぬ関心をよせている。例えばオズワルド、例えばマンソン、例えばチャップ マン。なるほど彼らの背後には六十年代、七十年代、八十年代のツァイトガイストが揺れている。けれどもそれも道理、彼らを犯罪のイコンに仕立て上げたのは メディアであり、メディアこそがツァイトガイストそのものだからだ。

現代の犯罪を受容し、商品化してゆくのはメディアである。ケネディ暗殺、豊田商事会長刺殺事件、オウム幹部刺殺事件、これらはメディアの目の前で 起きた殺人であり、公開された殺人の記録だった。その現場にメディアがいなければ事件は起きなかったと読むのは乱暴だが、メディアによっては殺人は阻止で きなかったのは確かなことだ。
そしてメディアが潜在的な犯罪を誘引していることもありえぬことではない。

昨今連続する毒物・薬物事件の象徴は和歌山ヒ素カレー事件の林真須美容疑者である。連日テレビで放映されていた林真須美容疑者の映像は、故意か偶 然か、ソフトフォーカスとスローモーションを多用した、あたかもアイドルタレントのプロモーションビデオのようなつくりであった。林真須美容疑者の笑顔は 世紀末のイコンとして記憶されるだろう。

たぶん風邪のせいだ。『殺す』を購入したその夜、突然始まった激しい胃の痛みに一晩中苦しめられ、翌日も痛みは一向におさまらず、延々、床に臥してしまった。24時間後、ようやく苦痛が退いたところで一気に読み通した。

ある朝、ロンドン郊外の高級住宅街で住人三十二人が殺され、十三人の子供が誘拐される。犯人の目的は何か、子供たちはいったいどこへ? 事件の真 相を精神科医が追う、となればみもふたもない推理小説だが、そこは怪物バラード、当世はやりのプロファイリングなどとは無縁、読み始めてものの五分もすれ ば、容易に読者にも犯人の見当はつく。
バラードが探査するのは無動機殺人が発生するプロセスである。
『殺す』の語り手である精神科医は事件を非情緒的に解釈してゆく。殺人者にバラード流の動機を与えるのである。

憎しみの結果として生じるのではない殺人。犠牲者の死が何の意味も持たない殺人。感情とは無関係に、犠牲者がただ排除されるべき障壁として殺人が遂行される事態。これが無動機殺人の特徴だと想定されている。
障壁排除の殺人には第三者が存在しない。テロリズムは障壁排除ではあるが、無動機ではない。テロは常に第三者を意識して行われている。殺人は革命 の第一歩であったり、勢力拡張の手段であったり、必ず現実社会との取引がある。それゆえ、テロにどれほどの大義名分があろうとも、結果を社会(第三者)の 審判に委ねなければならない。

精神科医は、どうやら殺人者に共感しているようだ。彼らには「選択の余地はなかった」と。現代社会は彼らを裁くことができるのだろうか? 林真須 美や松本智津夫や「キレた」少年たちを裁くことが可能なのか? 犯罪は犯罪を行う者が、それが社会とのつながりにおいて罪であることを認めているからこ そ、犯罪として成立しているのである。罪の意識をまったく欠いた殺人は、もはや犯罪とは呼べない。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
殺人は罪である。このルールを徹底させるためには、戦争における殺人、すなわち「選択の余地はなかった」殺人が明確な犯罪であると断言しなければならないとぼくは思う。

『殺す』の結論はこうだ。
現実から逃避するために殺人が行われた。彼らは愛情と保護の暴虐から自由になるために殺人を犯す。現代社会の管理・秩序に閉塞された状況から逃走するためにはワイルドであること。それが殺人を誘発するのであると。
でも待てよ、そんなことはバラードは既に傑作『ハイ‐ライズ』で描ききっているじゃないか。なにをいまさら。

ああそうか、だからぼくは、これは八十年代の物語なんだと妙に懐古的な気分になってしまうんだ。

 1980年のある日のこと。ぼくと同じ年に生まれたイチリュウノブヤという男が、郊外の新興住宅地の自宅で、金属バットを両親の頭部めがけてフルスイングした。ジャストミート。その瞬間から、それは開始されたのだった。

 ぼくたちは片っ端から破壊していった。劇場という制度を破壊し、背景(装置)を破壊し、メディアとの接触を断ち、公演収支の帳尻あわせを無視し、そのあげくに観客の眼差しさえも否定してしまった。ぼくたちは演劇の廃墟の中で、お互いに仲間を見回してこう思っていたのだ。
 「誰か死んでくれないものだろうか?」
 死者は出なかった。けれどもぼくは自らの精神を破壊してしまった。

 ぼくたちはたった一度しか起こらないことのために命がけだった。でも、そのこと、たった一度しか起こらないことというのは、それはほんとうに価値のあることだったのだろうか。

(1999年)

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